大工が“大工”と呼ばれるさらに前。
飛鳥、奈良時代のこと。宮中に建物の新築、修繕などで出入りする職人は、現在の大工仕事を担当する職人は“右官”と呼ばれ、壁を担当する職人は“左官”と呼ばれることで特別に出入りを許可されていたのです。
そして、当時大工(オオタクミ、オオダクミなどの読み方)と呼ばれる職業は、これらすべてを取り仕切る監督のような立場の役職であったようです。
時代の移りのなかで、木工作業の職人が力を持つようになり、右官と呼ばれていた人たちがいつしか“大工”と呼ばれていったようです。
そして、左官については1000年以上経った令和の今まで、この呼び方が今も残っているのです。
そう。左官は、大工と対をなすほど建物づくりに重要な職人でした。